スピリチュアルにあらず、、、脳の筋トレ、、、
2015/9/10 木曜日
いきなり忘備録。
昨夜、フトンに横なってしばらくすると、閉じた目蓋の裏側に、かつてないスピードと明晰さで、さまざまなアラベスク紋様(みたいなもの)が明滅。
最近多いなと思っていったん目をあけて横になり、再びつづきを見るべく目を閉じようとすると、いつも左肩方向に置いている照明スタンドが、なにやらモヤモヤと揺れ動いている。
なんだ?と凝視すると、照明スタンドではなく、その方向に、僕にとっては懐かしい、けれど記憶にあるそれとはやや構図(配置)の違うカラー画像が投影されており、0.5秒間隔で自動スクロールされるではないか。
それが空間に映し出されているのではないことに気づいたのは、極度の近視である僕の眼でも、「くっきり視えた」からだ。
時間にして10秒程度。アルコールは口にしていないし、意識ははっきりしている。なにかしら、僕の脳が、新しい領域へと踏み込みつつあるのだ、と受け止めることにした。
ヨガマスター、気功師などの本を読んでも、あるレベルに達すると修行の節目節目で、いろんなことが起こっている。僕はこれをスピリチュアルなものと安易に結びつけるつもりはない。僕が目指しているのは、生体物理学的な観点から解明し、未来の検証材料としてデータを提供・共有することにある。
写真:僕らの脳は、世界のほんの一部しか感知できていない。「たったそれだけ」で、世の中をどうこう言ってるのだ。図で表すなら、ネットで探し無許可転載した、この氷山のイラストに近いが、僕なら上の「顕在意識」を「顕在認知」に、海面から下の部分を、個人も集団も分け隔てなく「潜在認知」と書く。ほぼ無限の可能性を秘めた「潜在認知」を開発することで、いくらでも「能力」は発現していくのである。
で、ここを開くには、心理学、システム思考、フレーミング思考など既存のやり方ではまず無理。なぜなら、それらは「選択」の世界、つまり見たいように見る「顕在認知」の領域から、ほとんどハミ出さないからだ。
その点、「脳の護身術/オクターヴ・メソッド」は、選択ではなく偶然性や他人のセンサーを利用した「不選択」を多用し、苦痛までいかない「楽しめるレベルの負荷あるいはアクシデント」を一定期間与える手法をとっている。こういった「脳の筋トレ」が、海面下の潜在している潜在認知を叩き起こすのだ。

いきなり忘備録。
昨夜、フトンに横なってしばらくすると、閉じた目蓋の裏側に、かつてないスピードと明晰さで、さまざまなアラベスク紋様(みたいなもの)が明滅。
最近多いなと思っていったん目をあけて横になり、再びつづきを見るべく目を閉じようとすると、いつも左肩方向に置いている照明スタンドが、なにやらモヤモヤと揺れ動いている。
なんだ?と凝視すると、照明スタンドではなく、その方向に、僕にとっては懐かしい、けれど記憶にあるそれとはやや構図(配置)の違うカラー画像が投影されており、0.5秒間隔で自動スクロールされるではないか。
それが空間に映し出されているのではないことに気づいたのは、極度の近視である僕の眼でも、「くっきり視えた」からだ。
時間にして10秒程度。アルコールは口にしていないし、意識ははっきりしている。なにかしら、僕の脳が、新しい領域へと踏み込みつつあるのだ、と受け止めることにした。
ヨガマスター、気功師などの本を読んでも、あるレベルに達すると修行の節目節目で、いろんなことが起こっている。僕はこれをスピリチュアルなものと安易に結びつけるつもりはない。僕が目指しているのは、生体物理学的な観点から解明し、未来の検証材料としてデータを提供・共有することにある。
写真:僕らの脳は、世界のほんの一部しか感知できていない。「たったそれだけ」で、世の中をどうこう言ってるのだ。図で表すなら、ネットで探し無許可転載した、この氷山のイラストに近いが、僕なら上の「顕在意識」を「顕在認知」に、海面から下の部分を、個人も集団も分け隔てなく「潜在認知」と書く。ほぼ無限の可能性を秘めた「潜在認知」を開発することで、いくらでも「能力」は発現していくのである。
で、ここを開くには、心理学、システム思考、フレーミング思考など既存のやり方ではまず無理。なぜなら、それらは「選択」の世界、つまり見たいように見る「顕在認知」の領域から、ほとんどハミ出さないからだ。
その点、「脳の護身術/オクターヴ・メソッド」は、選択ではなく偶然性や他人のセンサーを利用した「不選択」を多用し、苦痛までいかない「楽しめるレベルの負荷あるいはアクシデント」を一定期間与える手法をとっている。こういった「脳の筋トレ」が、海面下の潜在している潜在認知を叩き起こすのだ。

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