旧陸軍被服支廠見学会、、、付き合う人は選ぶべし、、、
2014/1/19 日曜日
午後、我が家から徒歩5分の距離にある「旧陸軍被服支廠」を見学するイベントに参加。建てられたのが1913年だから、101年が経過しているわけだ。軍都・広島の名残がうかがえる遺構のひとつで、戦時中は兵員の軍服や軍靴などを製造していたが、広島に長く住む者にとっては被爆者の救護所としての凄惨な記憶の方が強いかもしれない。
爆心地から約2.7km。通常の日本家屋だったらひとたまりもなかったろうが、この被服支廠は外壁の厚みが60cmもあり、倒壊を免れたばかりか、今後も「なにか」に使えそうなポテンシャルを秘めているのだから恐れ入る。
見学会参加者は約30人。ふだん、立ち入りが禁止されている区域にて、ゴミも意外に少なく、ここだけ時が止まったような静寂感が、なんとも非日常的で心地よい。ふと、ここが我が家のすぐそばであることを忘れそうになった。
100枚以上の写真を撮りながら、脈絡も無く、けれどワクワク感一杯で沸き上がり続けた旧陸軍被服支廠活用案は、後日、ちょびっとずつ披瀝したい。
さて。
好きとか嫌いとかではないんです。
多岐に渡る僕の独自プロジェクトを展開し、皆さんと共有する上で、毎度ネガティブで無遠慮なコメントを僕のアップデートに寄せ、愉しい気分を台無しにする人物とは距離を置きたくなり、facebookから若干名ほど除外させてもらった。仏の顔に3度目はありません。たぶん本人は悪気は無いのだろうが、そういうのが一番困る。
来る者は拒まない主義も今年から返上。
そんなわけで御免、今後、付き合う人は選ばせていただきます。アディオス!

午後、我が家から徒歩5分の距離にある「旧陸軍被服支廠」を見学するイベントに参加。建てられたのが1913年だから、101年が経過しているわけだ。軍都・広島の名残がうかがえる遺構のひとつで、戦時中は兵員の軍服や軍靴などを製造していたが、広島に長く住む者にとっては被爆者の救護所としての凄惨な記憶の方が強いかもしれない。
爆心地から約2.7km。通常の日本家屋だったらひとたまりもなかったろうが、この被服支廠は外壁の厚みが60cmもあり、倒壊を免れたばかりか、今後も「なにか」に使えそうなポテンシャルを秘めているのだから恐れ入る。
見学会参加者は約30人。ふだん、立ち入りが禁止されている区域にて、ゴミも意外に少なく、ここだけ時が止まったような静寂感が、なんとも非日常的で心地よい。ふと、ここが我が家のすぐそばであることを忘れそうになった。
100枚以上の写真を撮りながら、脈絡も無く、けれどワクワク感一杯で沸き上がり続けた旧陸軍被服支廠活用案は、後日、ちょびっとずつ披瀝したい。
さて。
好きとか嫌いとかではないんです。
多岐に渡る僕の独自プロジェクトを展開し、皆さんと共有する上で、毎度ネガティブで無遠慮なコメントを僕のアップデートに寄せ、愉しい気分を台無しにする人物とは距離を置きたくなり、facebookから若干名ほど除外させてもらった。仏の顔に3度目はありません。たぶん本人は悪気は無いのだろうが、そういうのが一番困る。
来る者は拒まない主義も今年から返上。
そんなわけで御免、今後、付き合う人は選ばせていただきます。アディオス!

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