文体は、それを使う者の思想や姿勢をも支配する
2020/8/23(日)
マーケティングコンサルの新規案件で、新幹線で福山へ日帰り出張。
車中に読む本として選んだのは、数年前に買って少しだけ読み
そのまま忙しくて放置していた清水良典「あらゆる小説は模倣である。」
いや、これが面白いのなんの。
世に広く読まれている小説が多かれ少なかれ、誰かの文体に影響を受け
技術を盗み、模倣することによって成り立っていると。
その証拠して著者が提示する、名だたる作家の一節と、
それの元ネタとされる小説の対比や、
単にパクリと糾弾できぬほどのアレンジ力など、楽しい一冊だ。
また、第三者の文体のDNAを継承した場合、
表面的に語り口を真似るだけでは許されず、
その書き手の思想や姿勢まで支配してしまうことがあるという洞察も興味深い。
ただ、それが大きな飛躍と成長に結びつけば良いのだが
自己満足的な狭小な世界に自らを閉じ込めてしまう恐れもありそうだ。
侮ってはならないと思った。
数少ない当ブログの読者は、すでにお気づきかもしれないが
一人称を、一時期使った「私」に統一している。
越えて行きたいんです。自分自身を。

マーケティングコンサルの新規案件で、新幹線で福山へ日帰り出張。
車中に読む本として選んだのは、数年前に買って少しだけ読み
そのまま忙しくて放置していた清水良典「あらゆる小説は模倣である。」
いや、これが面白いのなんの。
世に広く読まれている小説が多かれ少なかれ、誰かの文体に影響を受け
技術を盗み、模倣することによって成り立っていると。
その証拠して著者が提示する、名だたる作家の一節と、
それの元ネタとされる小説の対比や、
単にパクリと糾弾できぬほどのアレンジ力など、楽しい一冊だ。
また、第三者の文体のDNAを継承した場合、
表面的に語り口を真似るだけでは許されず、
その書き手の思想や姿勢まで支配してしまうことがあるという洞察も興味深い。
ただ、それが大きな飛躍と成長に結びつけば良いのだが
自己満足的な狭小な世界に自らを閉じ込めてしまう恐れもありそうだ。
侮ってはならないと思った。
数少ない当ブログの読者は、すでにお気づきかもしれないが
一人称を、一時期使った「私」に統一している。
越えて行きたいんです。自分自身を。

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