京都の能楽師のただならぬ気配
2019/9/26 木曜日
午後一、セガレの中学校で開催される芸術鑑賞会に参加。
毎年、生徒と、希望する親が体育館にて、文字通りさまざまな芸術鑑賞をするわけだが、今回のプログラムが能の観世九皐会(東京)による「土蜘蛛(いまちょうど習っているところ)」ということで、これは行かねばと。
はたして、能の謡本まで持参しての観劇であったが、上手は上手なんだが、彼ら関東の観世流より京都のそれのほうが強烈な臨場感を漂わせているのはなぜなのだろう。
落語でも漫才でも関東より関西のほうが面白く感じるのにも似ている?
いや、僕の数少ない鑑賞歴でジャッジするのは間違っているかもしれんが、たとえば我が師匠や、そのお仲間の京都の能楽師には、技術を超えた並々ならぬ気配があるのだ。
殺気とか妖気みたいなものだ。京都という場のチカラが、何者かを宿らせているのかもしれない。
僕はいい師匠に巡り会えたようだ。
午後一、セガレの中学校で開催される芸術鑑賞会に参加。
毎年、生徒と、希望する親が体育館にて、文字通りさまざまな芸術鑑賞をするわけだが、今回のプログラムが能の観世九皐会(東京)による「土蜘蛛(いまちょうど習っているところ)」ということで、これは行かねばと。
はたして、能の謡本まで持参しての観劇であったが、上手は上手なんだが、彼ら関東の観世流より京都のそれのほうが強烈な臨場感を漂わせているのはなぜなのだろう。
落語でも漫才でも関東より関西のほうが面白く感じるのにも似ている?
いや、僕の数少ない鑑賞歴でジャッジするのは間違っているかもしれんが、たとえば我が師匠や、そのお仲間の京都の能楽師には、技術を超えた並々ならぬ気配があるのだ。
殺気とか妖気みたいなものだ。京都という場のチカラが、何者かを宿らせているのかもしれない。
僕はいい師匠に巡り会えたようだ。
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