装置としての神社、、、ディスラプトの波は容赦なく、、、
2019/1/2 水曜日
例年通り、元日は氏神の比治山神社、そして2日の本日は、明治維新直後に小林方の先祖が神社守を勤めた安佐南区の安神社へ初詣。
もちろん、スピリチュアル的なものはまったく信じない私であるから、参拝は神頼みではなく、自らの意思の確認である。
成功している経営者のなかで、年10回以上、神社にお参りする人は相当数いるが、同様にお参りしたから効果があるというより、常に気持ちを新たにし「向かうべき地」を確認できているからだと推測する。神社も寺もこのような装置としての価値はしっかりあるのだ。
さて、大晦日、テレビで紅白を見た。郷ひろみ、北島三郎。ユーミンはまったく声が出ておらず、松田聖子もキーを下げていたり、トリで出たサザンもダンサーが一緒でないと間が持たない感じで、戦後からスタートしたニッポン音楽ビジネスのフィナーレを見る思いだった。
ある意味「大御所」と呼ばれる方々は幸せだったろう。しかし、この業界にも、ディスラプト(創造的破壊)の波が押し寄せている。
あらためて、たいへんな時代に生きているわけだ。

例年通り、元日は氏神の比治山神社、そして2日の本日は、明治維新直後に小林方の先祖が神社守を勤めた安佐南区の安神社へ初詣。
もちろん、スピリチュアル的なものはまったく信じない私であるから、参拝は神頼みではなく、自らの意思の確認である。
成功している経営者のなかで、年10回以上、神社にお参りする人は相当数いるが、同様にお参りしたから効果があるというより、常に気持ちを新たにし「向かうべき地」を確認できているからだと推測する。神社も寺もこのような装置としての価値はしっかりあるのだ。
さて、大晦日、テレビで紅白を見た。郷ひろみ、北島三郎。ユーミンはまったく声が出ておらず、松田聖子もキーを下げていたり、トリで出たサザンもダンサーが一緒でないと間が持たない感じで、戦後からスタートしたニッポン音楽ビジネスのフィナーレを見る思いだった。
ある意味「大御所」と呼ばれる方々は幸せだったろう。しかし、この業界にも、ディスラプト(創造的破壊)の波が押し寄せている。
あらためて、たいへんな時代に生きているわけだ。

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