可能性と「できる範囲内」という発想のダメっぷり
2017/6/29 木曜日
終日、当オフィスのミーティング用ペントハウス「torinosu」に篭り、スケジューリング。
たった小一時間で畳一枚分のホワイトボードが文字と図で埋め尽くされる。
とんでもなく可能性の広がりを感じるが、それでもまだ見えてない部分があるはず。
先日、コンサルとしてではなく、とある学校関係者のお困りごとを聞いた。ほかの学校同様、少子化で学生の確保が難しくなってきているそうだが、うかがっている間にも打つ手がいくつも浮かび上がってきた。
よそもやっている施作と競っても意味がないのだ。
やらないこと、もしくは「できないと思っていること」に全然意識が向いていない。
ためしに「こんなのどうですか?」と、いくつか振ってみたところ、できたらスゴそうだけど、たぶん上がうんといわないだろう、と。
で、結局「今できる範囲内」となる。消去法だ。
今できる範囲内でやってきたことが、のぞまぬ結果として出ているのに、まだ現状維持を続けるつもりなのだろうか。

終日、当オフィスのミーティング用ペントハウス「torinosu」に篭り、スケジューリング。
たった小一時間で畳一枚分のホワイトボードが文字と図で埋め尽くされる。
とんでもなく可能性の広がりを感じるが、それでもまだ見えてない部分があるはず。
先日、コンサルとしてではなく、とある学校関係者のお困りごとを聞いた。ほかの学校同様、少子化で学生の確保が難しくなってきているそうだが、うかがっている間にも打つ手がいくつも浮かび上がってきた。
よそもやっている施作と競っても意味がないのだ。
やらないこと、もしくは「できないと思っていること」に全然意識が向いていない。
ためしに「こんなのどうですか?」と、いくつか振ってみたところ、できたらスゴそうだけど、たぶん上がうんといわないだろう、と。
で、結局「今できる範囲内」となる。消去法だ。
今できる範囲内でやってきたことが、のぞまぬ結果として出ているのに、まだ現状維持を続けるつもりなのだろうか。

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